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■通新町

現在、通新町睦の地域は、江戸時代「下谷通り新町」という地名でした。近くには隅田川の橋「千住大橋」があり、
その千住大橋は徳川家康が創ったとされています。現在の千住大橋から三ノ輪までの間を「下谷通り新町」と言っていたそうです。江戸時代は隅田川を利用して物資の運搬や旅の出発点として、多くの人々が利用していたそうです。街道のため大きな宿や、お店が建ち並んでいて多くの旦那衆がいたと言われています。

■通新町の神輿について

素盞雄神社氏子中61ヶ町の中でも大きい神輿です。大正10年製作台輪3尺3寸その後修復のため昭和56年に栃木県石橋町の神輿屋宝珠堂小川政次師の手により台輪3尺5寸・重量700キロ・担ぎ棒の長さ6m70cmという形で修復されました。町内が所有する神輿では、かなりの大神輿です。このぐらいの神輿になると、ほかの神社では御本社宮神輿の所も多い。そして平成7年に担ぎ棒の長さ7mと30cm程長くし、揉み綱も長くしました。その他彫刻等全てにおいて大修復が行われました。

素盞雄神社の神輿の特徴は、ほかの神輿と違い担ぎ棒が二本しかなく、そのため非常に棒が長い(通称、二天神輿と呼ばれる) この二天神輿の担ぎ方は、神輿責任者(睦・若頭)の合図で担ぎ手は頭を棒の内側に入れ、前棒(神輿を中心に進行方向前の棒)の担ぎ手は神輿に向き、後ろ棒(神輿を中心に進行方向後ろの棒)の担ぎ手は頭を棒の内側に入れたまま、お互い神輿に向き合い、進行方向左側から倒し左右に神輿を荒々しく振るという珍しい担ぎ方である。これを渡御中に交差点や寄付を頂いた家の前、会員の家の前などで行います。
右の写真のように担ぎ手は左右交互に腰を下ろします。

睦の会員の人たちは振られてきた神輿を受け、反対側に返します。もみ綱(赤い綱)を肩で受ける人を綱受けと言い、蕨手を受ける人を蕨受けと言います。一人にかかる重量はかなりのものです。

この神輿で一番目立つ場所が胴下・箱下とも言い、神輿の胴の下へ入り神輿を左右に振るときに体を曲げたり伸ばしたりして首と肩で神輿を支えるポジションです!ここは、かなり経験を積んでる人や地元の人でないと出来ない場所です。時には顔が地面すれすれになることもあります。これを左右各3回〜5回ぐらい振ります。初めてみる人は神輿が倒れてくると、おお慌て(笑)