トップページ 挨 拶 素盞雄神社祭礼 通新町睦の歴史 通新町町内渡御 ポスター 秘蔵写真 リンク 

通新町睦ホームページにお越し頂き有り難うございます。このホームページは個人で制作しております。御神輿と言うと、三社祭り(浅草神社)・神田祭り(神田明神)・深川(富岡八幡宮)・鳥越祭り(鳥越神社)など都内でも有名な祭りが思い浮かぶことと思います。天王祭(素盞雄神社)は都内でも珍しい二天棒の神輿です。四天神輿では決して味わえない神輿振りが最高です!一度担ぐと、みんな毎年必ず担ぎに来るほど病みつきにまる祭りです。まだ、このホームページを立ち上げたばかりなので、十分な情報が記載されていません。これから、もっと多くの方々に素盞雄神社の祭りを知って頂く為、今後詳しい情報などを掲載していきたいと思っております。

■荒川区素盞雄神社の神輿■

 東京都・荒川区の南千住、三河島、町屋、三ノ輪の四地区氏子六十一ケ町とする、素盞雄神社の祭りの神輿は、こども神輿も全部二天棒で担ぎます。他の神輿のほとんどが四天棒担ぐのが普通と思っている人には大変不思議に思われるでしょう。
 また、その二天棒を使って神酒所前、交差点、四つ角などで左右に、地べたについてしまうほど振る。初めて見る人には驚きの事でしょう。

 六月は旧暦では夏。春と秋に稲の収穫を祈念感謝する農村型祭禮に対して、天王祭は京都の祇園祭と同様、夏に流行する疫病を振り祓う都市型の祭禮です。六月二日の宵宮祭、三日の例大祭は、六十一ケ町総代を初め氏子崇敬者の参列のもと、厳粛な祭儀が斎行されます。その際、参列者は半紙で包んだ胡瓜を奉納します。これは胡瓜を輪切りにした模様が御祭神の御紋に見え恐れ多いために、その年の初物の胡瓜を先ず御神前に奉納してから自分たちが食する、という伝統を継承したものです。

このおごそかな祭典を境として、氏子六十一ケ町が勇壮華麗な祭一色へと染まっていきます。

 天文十年荒川洪水の折、町屋村杢右衛門が御殿野(現町屋地区)に古き神輿を得て本社に納めてより神輿渡御が行われました。
 現在の神輿は明治十年千葉県市川市行徳村の浅古周慶の作。重量千貫の神輿を、四間半(8.1m)の長柄二本(二天棒)で左右に振る『神輿振り』が有名で、神輿を納めた故事により現在に至るまで町屋の氏子が宮出しを行います。
 本社祭礼については遠く天文十年より伝わりその盛大なことは今も昔も変わりませんが、殊に江戸盛期の寛政、文化、文政の頃は、還御のときのタイマツ送りや千住大橋の綱引き行事等があり、最も盛んだったという記録が残っています。

 祭礼日は6月3日。本社神輿は土日にかけて渡御します。3年に一度行われる「本祭」と、それ以外の年に行われる「陰祭」があり、「陰祭」では本社神輿はでませんが、町内神輿やこども神輿等、その盛況さには変わりありません。

 大神輿は、南千住三之輪・三河島・町屋の三地区の若睦選抜によって担がれる為、女性や年少の者は担ぐことが出来ません。依って、伝統を護り次代に引き継ぐを旨として、皇太子殿下御成婚奉祝記念として平成七年に作られ、大中の御本社神輿お揃いの神輿振りが行われています。

神輿を地面すれすれまで左右交互に倒し振り合います。大変荒々しく勇壮な情景です。

 この天王祭は、二天棒で担ぐということと、もうひとつ他では見られないことがあります。本社神輿の宮出しは、昔から町屋地区の氏子が行います。宮出しの朝、本社神輿は神社の本殿の前に置かれ御祓いを受けます。50メートル手前ぐらいから町屋地区の担ぎ手が一気に鳥居をくぐり神輿まで全速力で走ってきます。誰もが我さきにと神輿にしがみ付き棒の取り合いが行われます。緊張感があり、下町っ子の血が騒ぎます。町屋地区の氏子に担がれた後、南千住・三ノ輪地区の氏子に引き渡され、各町内を回ります。

本社神輿を担ぐ時は、担ぎ手全員が白丁(はくちょう)白い布の様なものを着て、はんだこ、白足袋、各町会・睦の決められた鉢巻きを身に付け担ぎます。それ以外の格好では絶対に神輿には触れません。

素盞雄神社HPより文章一部参考

御本社御輿宮出し